高橋玄洋脚本等作品データ集の作成日記ページ

高橋玄洋脚本等作品データ集の作成日記

2023年6月16日 (金) 「裸の大将放浪記」
テレビの番組表を見ていて、BS12トゥエルビで「裸の大将放浪記」の放送しているのに気がついた。6月16日の放送は第3話と第4話で、タイトルを調べたら、1980年6月から放送されたものだった。玄洋先生も脚本を書いていたと思って調べたら、
18 尾道坂道春の雪(ロケ地:尾道市)
19 清とお化けと夏祭り(ロケ地:秩父市。共同脚本:高村美智子)
20 清の秩父路オニ退治(ロケ地:秩父市。共同脚本:高村美智子)でした。
出演者等は高橋玄洋テレビ番組S60のページの昭和61年(1986年)欄でご覧ください。
次回は7月14日(金)20時から放送予定です。玄洋先生の脚本による作品の放送がいつになるかわかりませんが、放送が楽しみです。

2022年12月31日 (土) 「お手々つないで」
1977年11月1日に名古屋放送株式会社から発行された「若い11」という広報紙11月号に「お手々つないで」の記事が掲載されていた。
表紙に「高橋玄洋大いに語る」とあったので、入手し読んでみた。
名古屋テレビ開局15周年記念ドラマ「お手々つないで」の放送開始にあたり、「高橋玄洋氏と佐怒賀三夫氏の対談」や「担当プロデューサーの制作日記」を掲載している。
脚本家としてのの苦心や玄洋先生が人生の師と尊敬している小林和作氏がモデルということなどが紹介されていた。
制作日記では昭和51年2月に制作を決定してから、52年11月の放送になるまでの経過が記載されていて、興味深く読んだ。
国会図書館や愛知県図書館、名古屋図書館の検索サイトで「若い11」を検索しても出てこないので、所蔵されていないようである。関心があっても読めないのが残念だ。

2022年7月31日 (日) 「思い橋」の再放送
ネッとで検索していて「思い橋」が千葉テレビで6月8日(木)から再放送されているのに気が付いたが、8月1日(月)が最終回だった。最終回は視聴できるが全回見られず残念でした。

2021年8月31日 (火) 「蝶たちの冬」の挿絵画家(赤穴宏)
「夕映え天使」の挿絵画家については、先日、相原求一郎氏ということを確認したが、「蝶たちの冬」についても新聞を複写サービスで取り寄せて見たら、赤穴宏氏ということが分かった。東京新聞では夕刊に連載されていた。 新聞。なお、赤穴宏氏についてインターネットで検索してみたら「千葉大学名誉教授で洋画家」(2009年6月3日死去)という記事があったので、多分この方だろうと思う。機会があれば依頼の経緯について玄洋先生に伺ってみたいと思う。
著作リストの「蝶たちの冬」の補遺欄に新聞の挿絵:赤穴宏を追加した。

2021年7月28日 (水) 「夕映え天使」の挿絵画家(相原求一郎)
玄洋先生のお宅で、新聞小説の挿絵を相原求一郎先生に書いてもらうことになり、最初は2週間分の原稿を渡して書いてもらったが、後に間に合わなくて奥様が相原先生の自宅に原稿をお届けしたことがあったと伺っていた。
相原先生の展覧会で略歴を見てもわからなかったが、知人から相原先生の略年譜を見せてもらったら、昭和52年4月に「高橋玄洋『夕映え天使』の挿絵を担当(10月まで)」と記載があった。単行本により「静岡新聞で昭和56年5月1日より、188回にわたり連載」したことはわかっていたが、イラストが中原脩氏となっていたので、挿絵も同じという思い込みで特に調べていなかった。
コロナ禍でなければ国会図書館に行き調べるのが早いが、入館も抽選予約だし、人ごみに入るのも嫌なので静岡県立中央図書館にメールでレファレンス照会してみたら、すぐに「1981年5月1日(金)〜11月8日(日)。挿絵:相原求一郎」との回答があった。
現物を見たいので、国会図書館に遠隔複写サービスを利用した。新聞の場合、日にち、朝・夕刊の別まで指定しないとならないので、第1回、最終回、各月初日、朝刊のページ複写を依頼した。
3週間ほどで届いたが、A3版の縮小版なので文字のかすれ、つぶれ等もあり不鮮明ではあったが、挿絵の確認はできた。新聞
著作リストの「夕映え天使」の補遺欄に最終回日(11月8日)、新聞の挿絵:相原求一郎を追加した。

2021年7月1日 (木) 「うわさの淑女」の主題歌「Out of Border」
昭和56年放送の「うわさの淑女」の主題歌(「Out of Border」歌:加藤登紀子)のEPレコード(特別サンプル盤)を見つけた。毎日新聞のテレビ欄(視聴室)には主題歌・加藤登紀子とあったが、所沢市立図書館にある脚本の主題歌・唄・作詞・作曲欄に記載がなくわからなかったものだが、この資料によりタイトルを確認することができた。
サンプル盤の説明として「この曲は、4月より放映のMBS系ドラマ「うわさの淑女」(毎水曜・10時より)の主題歌として使用されるものです。レコードとしては、加藤登紀子の最新アルバム「Out of Border]に収録されています。」と記載されている。

2018年11月28日 (水) 「風をみた女」の主題歌「愛の歳月」
11月始めに「嫁かず出戻り小姑」の挿入歌(「風の中で」歌:中尾ミエ)のレコードを見つけた。先日、玄洋先生のお宅で話をしていて「風をみた女」(1978年10月〜1979年3月放送)が話題になった。気になって調べたら、八代亜紀さんが主題歌「愛の歳月」を歌いレコードが出ていることがわかった。ジャケットには「MBS系連続テレビドラマ「風を見た女」主題歌」と記載されていて、ドラマは「風をみた女」なので今までチェックできなかった。
所沢図書館で脚本を調べたが、主題歌関連の情報はなかった。登場人物は全キャストが記載されていなかったので詳細はわからないが、八代亜紀さんは第11回にキャバレーで歌うアキエとして登場している。その後第15回にも登場していた。その歌が主題歌になっているのではないかと思うが、ドラマを見ていないのでわからない。
余談になるがA面の「故郷へ…」(こきょうへ)は、ウィキペディアによると1978年9月25日に発売された八代亜紀の26枚目のシングル。本楽曲は、1978年の第20回日本レコード大賞において金賞を、第9回日本歌謡大賞においては6年連続での放送音楽賞を、それぞれ受賞した。また、同年の第29回NHK紅白歌合戦において本楽曲が歌唱された。とのことである。

2018年11月14日 (水) 「新聞連載小説総覧」と「藍の風紋」
インターネットによる情報収集はヤフーで検索しているが、たまたまニフティで検索したら日外アソシエーツ編の「新聞連載小説総覧」を見つけた。 「平成期に国内の新聞で発表された連載小説の作品目録です。全国の新聞社49社で連載された小説2,817点を収録しました。」というもので、チラシに「藍の風紋」高橋玄洋・作とあってヒットしたようだ。 この辺の仕組みはよく分からない。今年の5月に刊行された新しい資料である。 ヤフーでは「新聞連載小説総覧」で検索すると出てくるが、「高橋玄洋」では表示されないが「藍の風紋」で検索すると表示される。
「藍の風紋」が全国各地の新聞に掲載されたことは聞いていてこれまで中国新聞、十勝毎日新聞、陸奥新報、上毛新聞は確認していた。 この「新聞連載小説総覧」は国会図書館に所蔵されているが、地元の図書館にもあったので調べたら、新潟日報、山形新聞、福井新聞、奈良新聞、徳島新聞にも掲載されているとあった。 全国の新聞を調べるのは大変なのでこのような資料は有難い。更に国会図書館に行って調べたら沖縄タイムスにも掲載されていた。
なお、十勝毎日新聞、陸奥新報、沖縄タイムスは「新聞連載小説総覧」の新聞社リストに載っていなかったので他にも掲載紙があるのかも知れないが、とりあえずこれらの情報をもとにホームページの著作リストのデータを更新した。

2018年3月11日 (日) 「土の館」「禁じられた美徳」「妻の美徳」
最近、昭和61年放送のTVドラマ、妻そして女シリーズ「妻の美徳」(昭和61年3月3日〜、25回。京都の芥窯の13代目延塔清月=橋昌也、妻真紀=有馬稲子、洋太郎=永野達弥、佐吉=中島久之)のスチール写真を見つけた。古い物は捨てられてしまうようだから、少し状態は悪かったが、運が良かったといえる。
少し前に「レモンのような女」第4話「土の館」(昭和42年5月31日放送。芥焼き窯元の未亡人真紀=岸惠子、洋太郎=竜崎一郎、佐吉=岡田英次)のDVDを入手していたので同じ時期に同じテーマの作品に関する資料が見つかるとは不思議であり、縁を感じた。
芥窯、真紀をキーに調べて見ると同じ人物が登場する作品に「禁じられた美徳」(昭和51年1月7日〜、13回。延塔真紀=岩下志麻、清月=池部良、清風=笠智衆、川上左吉=田村正和、洋太郎=山村聡)があった。いずれも陶芸界を舞台にした作品。
以前、玄洋先生が同じような作品が10年周期ぐらいで放送されることがあると仰って、「志都という女」を上げられたことがあった。昭和42年に芦川いづみ、昭和52年に十朱幸代、昭和58年に八代亜紀で放送されたが、標記3作は昭和42年の「土の館」が原作になりそうだ。

2017年4月23日 (日) ラジオドラマ「高橋家にまつわる物語」
昨年11月、なかた美術館の特別展「小林和作に出会う」において「高橋家にまつわる物語」展覧会を見た。ラジオドラマ、高橋邸と和作邸の模型、山陽日日新聞の記事、絵画などからなるインスタレーションで、その一角でラジオドラマ「高橋家にまつわる物語」を聴いた。
横谷奈歩さんが玄洋先生に脚本を依頼し、玄洋先生と縁のある方々が出演しているドラマだった。脚本を掲載した制作ノートを見ながら30分ほど聞かせて貰った。どう表現すればいいのか難しいのだが玄洋先生と小林和作画伯との出会い、尾道の懐かしい風景を様々な音で表現していたように思う。そのコーナーでしか聞くことが出来ないものだったが、12月と2月にFM尾道で放送されたと横谷さんのブログに書かれていた。インターネットでも聞けたようだったので、その情報を得られなかったのは残念だった。
また、制作ノートが数冊しかなくその時は頂くことはできなかったが、今回その貴重な資料をを横谷さんからご恵送戴いたので関連情報をラジオドラマのデータに追加した。

2017年3月19日 (日) 橋玄洋先生の米寿をお祝いする会
3月17日(金)に「玄洋先生の米寿をお祝いする会」が所沢市のベルヴィ ザ・グランで約90人の方が参加して開催された。柳内実行委員長、金井実行委員会代表顧問のあいさつ、花束贈呈そして玄洋先生のご挨拶、内藤教育長、岡田さん、黒田さん、飯島さんたちからご祝辞をいただき、玄洋先生が出席者の各テーブルを回られ歓談するなど、和やかな雰囲気の中で終了した。
また、先生が過去の展覧会で手放された作品の展示もあり、私もこれまでにデータ調査の過程で収集した資料を紹介する機会に恵まれた。重ねると大した量ではないが、広げてみるとかなりのスペースをとったのには驚いたし、その資料をじっくり見てくれる人がいたことも有難く思う。

2016年12月4日 (日) 繭子ひとり
11月上旬、尾道市立大学図書館「高橋玄洋記念室」に行き脚本の調査を行った。4年前の5月には大学にある脚本の確認が主で、キャストまで調べる時間はなかった。 今回、繭子ひとりの360回分の脚本の登場人物、俳優名を調べた。脚本の残っていない回もあるし、スタッフ、キャストが載っていない脚本もあったが、かなりの俳優を追加した。
帰宅後、市立図書館の新聞縮刷版で番組表を調べた。ドラマのタイトルは当然載っているが15分番組なので出演者を書くスペースは限られている。主役の山口果林だけかと思ったが、何日か見ていくと北林谷栄、山田吾一、杉良太郎などの名前が時々載っている。朝日新聞には10月頃までに30数人の俳優名が載ったが、以後は殆ど名前が出なかった。どの新聞も同じかと思ったが毎日新聞を見ると最後の方まで名前が出ていた。同じくらいの人数だった。朝日、毎日で同じ日に同じ名前が載っていることがあったので、テレビ局で情報提供していたのだろうと思う。脚本では気付かなかった加藤嘉、御木本伸介の名前も載っていた。読売新聞には殆ど載っていなかった。
その後、国会図書館で「週刊TVガイド」を調べた。テレビ番組の雑誌なので番組表に名前が載っているのではと期待したが、番組欄には殆ど名前は無かった。総てではないが毎週月曜日の解説欄にその週のストーリーが載っていた。登場人物名は出てくるが、俳優名はほとんどない。現にドラマを見ているのだから、俳優が誰かは必要無いのは当然だが、時々俳優名が付記されていて参考になった。
まとめてみたら、90人近くの俳優が出演していた。
なお、不明な登場人物・俳優名が脚本に載っているかの確認については尾道市立大学図書館にご協力戴いた。有難く感謝している。

2016年11月17日 (木) 尾道の旅
11月3日、玄洋先生の米寿を祝う会が尾道で行われた。
繭子ひとりの出演者情報など、尾道市立大学にしかない脚本があるので、その調査も含めて尾道に旅行し、併せて大崎下島(大長)、忠海の「エデンの海」の碑や先生の実家も訪ねた。 大長(おおちょう)は先生の話に時々出る先生のおじいさんの家があった所で、終戦後2年間蜜柑山など、親戚の畑で農作業をしていたと聞いていた所である。
1日、広島空港から乗合タクシーで竹原に出て、高速船(画像115kb)に乗り40分程で大崎下島の大長港に着く。
港のそばの東風崎(こちざき)神社の尾根に登って大長の町並(画像160kb)を見る。近くの島の蜜柑畑に行くための船を係留していた北堀と南堀(画像117kb)があり、家が密集している。平成26年にオープンした「みかんメッセージ館」で昭和40年頃の大長地区のジオラマ模型(画像154kb)を見ると、最盛期には斜面が山頂まで開墾されみかん畑になっていたようだ。この斜面での作業は大変だったろうと思う。
北堀通りの古い建物を見て、細い路地を抜けると宇津神社(画像130kb)に。神社の鳥居の前にフダバ(パノラマ画像61.4kb)という広場があり、その近くにおじいさんの家があった(今は家がなくて駐車場)と聞いていたので、行ってみた。広場(画像139kb)では露天商が野菜などを並べ店を開いていた。電柱の向こう、空き地(画像143kb)になっているところがおじいさんの家のあったところのようだ。
その隣の資誠堂というお店に入って聞いてみると、おばあさんが出てきておじいさんの家のこと、おじいさんを「トロッコヒゲのおじいさん」と呼んでいたことなどを話してくれた。
御手洗に向かうと大きな倉庫の中で大長みかんを売っていた。みかんを買い、ジュースを飲みながら話を聞くと、今は後継者も少なく山も荒れて来ているとのことだった。 御手洗は思ったより近かった。街並みの中心地常盤町通り(画像118kb)、菅公の井戸、満舟寺などを見る。夕方だったので殆ど人がいなかった。 住吉神社の手前におちょろ船工房があり、おじいさんが玄洋先生のお宅で見たことのあるおちょろ船(画像124kb)の模型を作っていた。
2日、船の出発時間まで伊能忠敬が測量で滞在した旧柴屋住宅で実写図「御手洗測量の図」を見たり、日本最古(安政5年創業)の現役時計店(画像128kb)のご主人の話(NHKのプロフェッショナルに出演したこと、高橋家とは遠い親戚になるらしいことなど。)を聞いて、高速船で竹原港に戻る。
港からはバスで忠海に向かう。運転手に何処で降りればいいか聞いた。道の駅みたいなものがあると思って聞いたので要領を得なかったが、乗客のおばさん達が「エデンの海じゃないの、あの景色の良いところ。シーサイドホテルで降りた方が近い」と教えてくれた。長浜東というバス停で降りて少し歩くと、パーキングエリア「エデンの海」(画像145kb)があった。崖崩れの土砂を利用してパーキングを作ったと聞いていたが土砂の規模が違っていた。大きな岩の上に四阿(画像113kb)が見えた。ここに先生が書いた「エデンの海」(画像141kb)の碑が立っている。 オープンから19年も過ぎて緑も豊かになり、碑の向こうに先生が卒業した忠海高校(画像128kb)が見える。トイレがあるのでドライブ途中に立ち寄る人が多かった。ホームページ用の写真を撮り、忠海駅に向かう。
忠海駅で「町のおさんぽマップ」というのを見たら勝運寺(平山郁夫が下宿をしていたとある)が載っていた。先生の作品に時々出る名前である。先生も平山郁夫画伯のあと同じ部屋に下宿をしていたそうなので寄ればよかったと思った。
午後は尾道市立大学の高橋玄洋記念室で脚本のデータを調べる。この部屋には松坂慶子さん主演の「暖流」の番宣ポスターがある。繭子ひとりに出演した山口果林さんも訪れたと聞いた。
夜は一宮(いっきゅう)神社でベッチャー祭りの式典(太鼓、ミニライブ)を見る。
3日、駅前からレトロバスで浄土寺下まで行く。浄土寺で特別公開中の十一面観世音菩薩を見て、隣の海龍寺(画像166kb)に。墓地の上の方に先生のご両親のお墓がある。その近くで中川一政画伯が尾道を書いたと聞いていたので、そこから尾道水道や千光寺山を眺め、浄土寺から西郷寺、西國寺、福善寺、大山寺を経て長江通りに出た。
先生の家は尾道南高校の北側になると聞いていたので大体の見当を付けて南高校の西側の細い道を登る。少し行き過ぎたかなと思って山側の家の前の道を登ると石垣の上に古い家が見えた。石垣に沿って進み建物(画像168kb)を見ると以前誰かのブログで見たような感じだったので門の所に行き郵便受けを見たらご両親の名前が残っていた。閉まっていて中には入れなかった。帰りは南高校の東側を通り、正門前から長江通りに下った。近くの小林和作旧居にも行ってみた。大きな石垣の上に立つ家だった。
その後、広島銀行近く、海岸通りにある「尾道の食事処 青柳」(画像91kb)に行き、看板料理のオコゼ唐揚げ定食を食べる。ホームページ用に先生が店名を書いた暖簾(画像136kb)の写真を撮る。先代が尾道のグルメの企画で先生と知り合い、書いて貰ったと店の方から聞いた。
午後は特別展「小林和作に出会う」を開催しているなかた美術館に。4時からのスペシャルトークで、作品を見ながら先生のお話を聞く。展示作品に中川一政画伯が尾道を描いた絵があった。尾道水道はなく、自分のイメージしていたものとは違った。その後、「玄洋先生の米寿を祝う会」に参加。盛大な会だった。引き続き洋酒喫茶ロダンでの2次会にも参加させて貰った。
4日、午前中、尾道大学で脚本を調べ、昼前、玄洋先生の家に向かう。特別展の「高橋家にまつわる物語」を担当した横谷さんから今日は開けていると聞いていたので、置いてある資料なども見たかった。行って見ると先生ご夫妻や村上選氏が来ていた。中に入れて貰い、少しお話を伺う。石垣の上に立てられているので遮るものが無く、眺め、日当たりの良い家だった。
午後は西國寺での和作忌に参加し、持仏堂で先生のお話も伺った。帰りに佐藤岱助氏の備前焼のお店に立ち寄ると奥様がお茶を入れて下さり、茅ヶ崎のMさんと一緒にご馳走になる。
5日、朝、中川画伯が描いたという場所に行ってみた。墓地の上の方に登ると有名画家写生地という碑(画像194kb)が立っていて、草むらの道の先に花崗岩が露出した所がある。広くは無いがいくらか平になっていてそこから尾道水道や千光寺山(画像129kb)の方の眺めがよい。先日の場所より少し高いだけだが浄土寺の鐘堂、多宝塔などの建物も見えた。社務所に寄ると、ご住職が中川画伯が山門の前の桜の木(画像183kb)の下で浄土寺の建物と今はない松の木を熱心に描いていたのを覚えていると話してくれた。
帰りの飛行機まで時間があるので、なかた美術館に行き中川画伯の描いた絵を見る。絵と浄土寺、千光寺山の景色が重なった。玄洋先生のコーナーでラジオドラマ『高橋家にまつわる物語』を聞いて尾道を後にする。

2016年9月25日 (日) 「春ひらく」と「ゆらめき」
最近「春ひらく」の番組宣伝のポスター(B全)を見つけた。笠智衆、東山千栄子、芦田伸介、久我美子、三浦友和、松坂慶子、児玉清、鳳八千代、長山藍子、新克利、加東大介、柏木由紀子、あべ静江、あおい輝彦、仁科明子、荻島真一、小倉一郎、草笛光子さんたち18人の顔写真のポスターである。
駅のスタンプが押してあり、昭和49年11月28日から12月4日(放送開始日)までどこかの駅に掲示されたものと思われるが駅名の記載はなかった。状態は余り良くないが今では殆ど残っていないのではないだろうか。
玄洋先生ご夫妻にご覧いただいたら、「当時見ていなかった」、「テレビ局に掲示してあったかな」などと伺い、懐かしくご覧いただいた。
その後、「春ひらく」をインターネットで検索してみたら、あべ静江さんに関する情報のページがあり、「春ひらく」をみつけたが、すぐ近くに「三男三女婿一匹」出演と、主題歌(ゆらめき)を歌っていたと記載されていた。これまで調べた中では出てきていない。主題歌は「僕たちの箱舟」(杉田二郎)なので、更に「ゆらめき」で調べて見たらレコードのジャケットに挿入歌と書かれていた。(作詞:中里綴、作曲:杉田二郎)
その後、改めて所沢図書館にある脚本を調べてみたが主題歌も挿入歌も記載がなかった。「春ひらく」から調べ始めて「ゆらめき」にたどり着いたが、本当に便利な世の中になったと思う。

2016年6月3日 (金) 「高橋玄洋ドラマ上映会」(所沢図書館所沢分館)
所沢図書館所沢分館に玄洋先生の資料コーナーが出来てから、5年半ほど経つ。 脚本・映像のほか、先生の小説を録音した資料もある。多くの人に利用して貰いたいと思っていたが、この4月から図書館にある先生のドラマ作品の上映が始まっていたと言うことをつい最近知った。 玄洋先生にお話を聞く会でも上映がされているがすべての作品を見ることは出来ないので、情報提供した。

2016年5月17日 (火) NHK土曜ドラマ「トットテレビ」
以前、先生のお宅を訪問したとき、NHKで黒柳徹子さんのドラマを計画していて、その資料収集に先生の所に来たことを伺っていたが、そのドラマが4月30日から始まった。
玄洋先生に関連するものがでてくるかと見ていたら、第4回(5月21日)には玄洋先生脚本の「繭子ひとり」の話題(黒柳徹子さんが、青森から上京して家族のため必死に働くおばさん・田口ケイの役作りに打ち込んだこと)が放送されるとのこと。詳しいことは分からないが、ビデオなどが殆ど残っていない作品なので、当時の雰囲気が分かるかもと楽しみにしている。
このホームページでどう取り上げるか迷ったが、トップページのテレビドラマ作品の項目に「話題」という項を設けてお知らせすることにした。

2015年10月1日 (木) 「アイ・ラブ・ユー」 国際子ども図書館
高二時代(旺文社)を閲覧するために、初めて上野にある国際子ども図書館を訪問した。玄洋先生の「連載青春小説 アイ・ラブ・ユー」の掲載時期などを調べるためだが、1976年10月から翌年3月まで6回にわたり連載したということがわかった。
その後、国会図書館本館に行こうと思っていたが、ここでもデジタルコレクションにアクセスできるということなので、約40件のエッセイなどを半日閲覧した。館内は空いていて複写もすぐ出来るのが良かった。
氏名で検索すると「法華」という雑誌にも何か書かれているらしく、タイトルと著者名が出ていた。般若心経のお話も聞いているし、そういうこともあるだろうと思って、本文をみたら「玄洋」でなく「玄浄」とある。読んでみると「早くに父母に死に別れ」とあったので、これは先生のものではないと思った。図書館に連絡したら誤植のようだった。
これまでも雑誌などに何か先生に関するものが掲載されているとの情報が得られたら、できるだけ実物(古い物なので国会図書館に行かないと見ることが出来ない。)を見て確認してきたが、今回初めて違う著者のものに当たった。同姓同名はまずないだろうと思っていたが、情報確認の必要性を改めて感じた。

2015年9月24日 (木) 銀座百点「銀座の思い出」
銀座百点(銀座百店会発行)の215号(1972年10月号)に玄洋先生のエッセイか何かが掲載されているということはわかっていたが、現物を見る機会が無く、どのようなタイトル・内容かわからなかった。インターネットで検索し、銀座百店会さんのホームページに行き着き、バックナンバーがあるのではないかと思い、突然のメールで失礼かとも思いながら照会したら、早速、タイトル「銀座の思い出」だけでなく掲載記事まで送っていただけた。調べる側にとってはインターネット社会で便利になっているが、業務多忙な中、古い資料を探し、コピーまでして送っていただいたことに有難く、感謝する次第である。
著作リストのページも最初のうちは、どこに先生の作品が載っているか程度だったが、次第にどのようなタイトルの作品かの記載も増えて、かなり情報が充実してきたと思う。本文が読めるようになればさらに良いとは思うのだが。

2015年9月19日 (土) スタイルシート 
著作リストの情報量が増え、表の中の文が読みにくくなってきた。ホームページは作成ソフトを使わず、単純にHTMLタグを使って作っている。どうすれば行間が空けられるか調べて見たら、スタイルシート(CSS)というものを使う方法があった。わずか1行追加するだけでページ内の表の行間が空いて少し見やすくなったので、このページやテレビドラマ作品の表なども修正した。このページも内容はともかく、行間が空いて前より見やすくなったように思う。
作品のデータを調べていても色々発見があり面白いのだが、それらの情報をホームページで見やすく表現できるシステム(方法)に気がつくことも、何か進歩したようで楽しい事である。

2015年9月18日 (金) 随筆「あの時のレインコート番組」を読んで
著作リストのデータを更新していて、たまたま雑誌「テレビドラマ」の随筆「あの時のレインコート番組」を読みかえしたら「入社して半年たった頃……。島津保次郎作の『嫁ぐ日まで』を急遽脚色……。これが社員作家などと云われる最初の仕事……」とあった。
前に「私の昭和出会った人々」を読んで、「……雨傘番組として下元勉さんを花嫁の父として書き始めた……。……ADを勤めていた私は……。この時の花嫁はまだ高校生の三田佳子だった。ビデオの編集も全く出来なかった頃の話である」という記述があったので、ドラマのタイトル・放送日などを調べたが判らなかったことを思い出す。
「嫁ぐ日まで」をインターネットの「テレビドラマデータベース」で調べると、下元勉、三田佳子等が出演、1959年5月12日の野球中継の予備プログラムとの記述はあったが、確定した放送日・放送時間、演出、脚本家等の記載は無かった。
図書館に行き当日の番組欄を調べたら、「[野球のない時] 劇『「嫁ぐ日まで』下元勉、高田敏江、三田佳子……」との記載はあったが、他の情報はなかった。翌日の新聞に野球は雨天中止とあった。従って、当時の脚本はないが、「嫁ぐ日まで」は1959年5月12日(火)20:00〜21:45に、下元勉、三田佳子等出演、AD(脚色)高橋玄洋、日本教育テレビ(NET)で放送されたものとわかった。
このように二つの記事からデータ集に載っていない番組を発見出来ることがあるのも、パズルのようで面白いところであり、もやもやしていたものがスッキリする時でもある。
「嫁ぐ日まで」を玄洋先生の関与した番組として「テレビドラマ昭和34年」、作品一覧(放送日順、五十音順)に追加した。

2015年9月16日 (水) ホームページデータ整理
昨日調べたデータをもとに、著作リストのページの更新を行い20件ほど追加した。件名からでは“玄洋先生が書いたもの”か、“先生について書いたもの”か判らないものがあったが、調査してかなり判明した。すでに掲載しているものでも分類を変更したり、同じ内容のものについては情報を備考欄に記入するなどして整理を行った。

2015年9月15日 (火) 玄洋先生の著作など調査−国会図書館
これまでインターネットなどで色々調べて、掲載雑誌などの見当がつき具体的なタイトル、内容を確認したいものが溜まってきたので、久しぶりに国会図書館に出かけた。
雑誌のデジタル化が進んできて現物ではなくデジタルで調べるものが増えてきて、先生の著作について検索すると以前は殆ど図書しか出てこなかったが、デジタル化によって雑誌に書かれたエッセイなども調べられるようになってきたのは有難い。
デジタルの雑誌を見たり、図書や雑誌を貸出を受けるのに時間がかかり、結局6時間位図書館で過ごした。
出かける前に先生の奥様から昔、新聞社が食事風景の写真撮影に来て大変だったことがあったと伺ってはいたが、その時の写真(和やかな良い写真だった)も出てきたりして良い1日だった。

2015年9月7日 (月) 蕎麦 寳
1年前、北浦和にあったお店が閉店し、その後どうしているのだろうかと気になった。昨夜インターネットで検索してみたら沖縄県那覇市で営業していることがわかった。先生ののれんも掲げられているようだが、自分で撮った写真がないので北浦和当時ののれんの画像を掲載し、場所を那覇市に訂正した。沖縄に行く機会があったら是非寄ってみたいと思う。

2015年9月6日 (日) EPレコード「宍道湖周遊歌」「春の嵐・愛のテーマ」
これまで玄洋先生のドラマ関係の主題歌、挿入歌あるいは発売されたレコードなどの情報を集めてきたが、最近、TBS・TV「人間の歌シリーズ・春の嵐」より「宍道湖周遊歌」「春の嵐・愛のテーマ」(詩・木下恵介、語り・近藤正臣、歌・有賀公彦)というEPレコードがあることがわかった。「春の嵐」は玄洋先生が木下恵介氏と仕事をした最初の作品だったと記憶している。 所沢図書館分館で脚本を確認したが歌詞などの情報はなかった。主題歌があったのかもわからなかったので、よい資料だと思う。久しぶりに図書館に行ったが、他にも確認したい事が幾つかあるので、国会図書館にも行ってみようと思う。

2014年9月10日 (水) 放送ライブラリー
脚本が残っていない「思い橋」について調べていたら、東京国立近代美術館フィルムセンターの「生誕百年 木下惠介劇場」(2012年9月30日〜10月28日)で「木下恵介アワー 思い橋 第一回(25分・16mm・カラー) 」を 上映(10/5、10/13、10/25)したことが分かった。
早くに気がついていればと思いながら調べていたら、横浜にある放送ライブラリーに「思い橋(第1回)」のほか、1963年11月10日に放送された「子機(こばた)」(第18回芸術祭奨励賞)があるのを見つけた。本当に残っているのかと早速、作品を見に行った。古いものなので画質は余り良くなく、音声も所々聞こえない所もあり、キャストの表示も無かったが、50年も前の作品が残っていたことに驚かされた。
放送ライブラリーは平成3年にみなとみらいに設置され、平成12年に現在の横浜情報文化センターの8階に移転したとのことであるが、昨日まで存在を知らなかった。ほかにもこのような施設があるのかも知れない。
そのほか「帽子とひまわり(最終回) 時の流れ」(NHKアーカイブスにもある)、昨年再放送された「野々村病院物語」と「野々村病院物語2」の第1回放送分(所沢図書館には全回分ある)、「黒い雨 姪の結婚」、「裸の大将 清とお化けと夏祭り」、「さんまの花ムコ見習い試験」(所沢図書館にもある)が無料で視聴できる。
これまで放送ライブラリーの存在を知らなかったので、キーワード「思い橋」から行き着いたのだが、貴重な映像の所在を確認することができた。

2014年9月4日 (木) 「寳」閉店
久しぶりに大宮に出かける用事があり、京浜東北線で北浦和の駅から見ると「寳」の看板・のれんが無くなっていた。店主の方が手打ちそばに思い入れがあり、すべてご自身で打っていたのでかなり大変だったとは伺っていたが、美味しいそばが食べられなくなり残念である。

2014年9月2日 (火) 裸の大将放浪記など
「裸の大将放浪記」の玄洋先生脚本の3本の放送が終わった。尾道にしても秩父にしても行ったことのある風景が出てくると内容と共に楽しめる。また出演者の中に相馬剛三という名前を見て、「アンザイレン」(1961年放送)で主役をした人だったなと会ったこともないのに懐かしく思ったりする。ロケーション協力の「ホテル美やま」は「思い橋」の舞台であり、現在、玄洋先生の名前のついた特別室がある。
先生が題字を書かれた「エデンの海」はまだ訪問したことが無いが、先生に造成直後の写真(碑と忠海高校が写っている)をお借りしたので、ホームページに掲載した。

2014年8月25日 (月) 裸の大将放浪記(続)
「裸の大将放浪記」は、毎月曜日2本放送されていたのが、25日(月)には新番組が入り、「尾道坂道春の雪」の1本しか放送されなかったので、9月1日も1本かと思ったら 「清とお化けと夏祭り」、「清の秩父路オニ退治」の2本が放送されると番組表に出ていた。1週間先までしかサブタイトルが分からないのが残念である。

2014年8月14日 (水) いのちある日に
玄洋先生の代表作「いのちある日を」に似たタイトルの演劇に「いのちある日に」という作品がある。海軍兵学校を舞台にしたもので、松浦竹夫氏(兵学校での玄洋先生の先輩)の演出により紀伊國屋ホールなどで数回公演されている。 インターネットでこの作品に出演していた俳優さんのページを発見した。情報をお持ちかメールで問い合わせたら、公演パンフレットや新聞記事を探して送ってくれた。そこに今まで知らなかった静岡や愛知での公演の記事があったので、データに追加することができた。手間暇かけて探して送っていただいたことに感謝している。

2014年8月11日 (月) 裸の大将放浪記
テレビのチャンネルを切り替えていて、「裸の大将放浪記」がまた再放送されているのを見た。またというのは昨年暮れ頃にも放送されていた(気がつくのが遅く玄洋先生の作品は見られなかったが。)ので、違うシリーズが始まっているのかと思ったが11日と18日の放送タイトルを見たら、玄洋先生の作品の前に放送されたものだった。 この流れで行くと玄洋先生の脚本による「尾道坂道春の雪」「清とお化けと夏祭り」は25日(月)に、「清の秩父路オニ退治」は9月1日(月)に放送されそうであり、楽しみである。

2014年7月13日 (日) 玄洋先生の歌詩
玄洋先生が作詩された主題歌は余り多くはない。先生ご本人が歌っている「尾道周遊歌」(「やる気満々」の愛唱歌)、「ただひたすらに」(「志都という女」主題歌)などレコードになっているものもあるが、脚本には記載されていてもレコードになっていないものもある。
先日、「妻の日の愛のかたみに」のレコードに先生の歌詩があるのを発見したこともあり、玄洋先生の作られた歌詩を調べてみた。さらにドラマの主題歌などの作詩家・作曲家・歌手などを一覧にまとめてみた。もれているものは今後補足していきたい。

2014年6月4日 (火) 「妻の日の愛のかたみに」のレコード
「妻の日の愛のかたみに」関係のレコードは1965年(昭和40年)6月に苅田千賀子(クラウンレコード)、青山和子(コロムビア・レコード)で録音・発売されたと1965年8月の週刊紙の記事で見た。
苅田千賀子のレコード(65年7月)は前に収集し、青山和子(65年8月)も同じものだろうと思っていたが、今回収集したレコードをみたら「妻の日の愛のかたみに」はタイトルは同じでも歌詩はそれぞれだった。また、青山和子のもう1曲の「愛して別れて」の作詩が玄洋先生だということを発見した。

2014年3月24日 (月) 「藍の風紋」掲載
「藍の風紋」は1992年9月から1993年7月までの間、230回にわたり、陸奥新報、上毛新聞、中国新聞ほかに連載された新聞小説である。
今、読んでみたいと思っても新聞そのものが近くにないし(たぶん国会図書館にはあると思うが)、新聞があっても1年分の新聞を広げて小説を読んでいくのは大変労力のいることである。
このたび、玄洋先生が新聞連載小説に手を加え、まとめられたので、先生の了解を得て、PDFファイルにして公開することにした。多くの人に読んで貰えたら幸いである。

2014年3月15日 (土) 宇津井健さん逝去
14日夜宇津井健さんが亡くなられた。
先生のドラマでは「野々村病院物語」(1981年5月から26回、TBS)、「野々村病院物語U」(1982年11月から26回、TBS)、「ゆずり葉物語」(1984年1月2日、NHK)に主演されている。
2009年10月には玄洋先生の脚本が製本された時の祝賀会にも出席され、昨年夏には「野々村病院物語」の再放送を見て、お元気で過ごされているものと思っていた。
ご冥福をお祈りします。

2014年3月14日 (金) ホームページの確認
図書館、ネットカフェとも普通にページを見ることができた。
Internet ExplorerではOKになったが、Mozilla Firefoxではどうかなと思って、インストールして確認したら、問題無く表示されたので、大丈夫そうだ。

2014年3月13日 (木) ホームページの余白 気がついてみれば
試行錯誤して、といっても自分のパソコンでは普通に余白もなく見られるので、変化したかどうかを確認するには図書館やネットカフェに行かなければならない。
今まで、背景と表が同じ色だったのを他のページと同じように表の色を変えてみた。図書館で見たら依然として余白があるが、なんとなく表の部分ではないかと気がつき、表の記述について確認したら、いままで白いので気がつかなかったが、半角のスペースにすべき所を全角のスペースにしていて、それがまとまってホームページに大きなスペースを作っていたことがわかった。
全角のスペースを半角のスペースにして、図書館に見に行ったら、スペースがなく普通に表示された。わかればなんと言うことはないが、気がつくまで長かった。
原因がハッキリしたので、各ページの余計なタグを削り、センタリングしたりして、更新を行った。

2014年3月11日 (火) ホームページの余白が消えない
昨日インターネットカフェで問題無く見えたから、期待していったが、相変わらず上の方にに大きなスペースが入っていた。何故なんだろうか。

2014年3月10日 (月) ホームページの余白
とりあえずこの辺かなと思うところを修正したが、今日は図書館が休みなので、インターネットカフェというところで確認してみることにした。入会金を払い、使用料を払って1畳位の狭い部屋のパソコンの前に座ったが、どう起動するのかわからなくて受付の人に聞く。なんとか起動したが、検索してもホームページがリストに出てこない。グーグルを検索して、グーグルの検索ページを開き、「高橋玄洋」と入力し、画像検索から見知っている画像をクリックして、ようやく目的のページに行き着いた。
ひととおりページを見てみると、画面が大きいせいか、センタリングしていないページは左に寄っていて少し見にくい。自宅の画面は小さいので目一杯だが、大きい画面だと中央に配置した方が良さそうに思った。
経歴・主要作品のページも空きスペースもなく普通に見えた。
PDFファイルの作品も読むことができた。
明日、図書館で確認することにする。

2014年3月9日 (日) PDFファイルが読めない
電子図書室にPDFファイルを載せたが、図書館では見られるだろうかと思って図書館に行った。自分のパソコンでは見られるのでほとんど気にしていなかったが、ちょっと気になったので確認に行った。
すると、PDFファイルについて「このファイルを開きますか、または保存しますか」と聞いてくるので、開くをクリックしても表示されない。フィルタリングソフトが影響しているのかもしれない。悪いページではないのだが、ウイルス感染を予防するため安易にPDFファイルを開かないようにしているのではないかと思った。
ほかのページはどうかなと思って見たら、経歴・主要作品のページの上の方のタイトルと表の間に大きな余白がある。更新履歴のページも同じだった。どちらも最近表の形に直したページであるが、自宅のパソコンでは問題無く見える。
家に帰って、どこかのタグを打ち間違えているのかもしれないと思い、他の問題無く表示されているページと見比べてみたが、違いがわからなかった。

2014年3月5日 (水) 雑誌「ドラマ」に「黒い雨ー姪の結婚」の脚本
早稲田大学演劇博物館の開架書架にあった「ドラマ」には玄洋先生の「黒い雨」の脚本やシナリオ作法などの記事があったので、著作リストに加えたが、分量が増えてきたので今後どう整理するかが課題になりそうだ。
「黒い雨ー姪の結婚」の脚本は所沢図書館にも決定稿がなかったので、雑誌に掲載されていることがわかってよかった。
現在、インターネットで様々なことが検索できるとはいっても、この情報は今まで見たことがなかった。犬も歩けば棒にあたるではないが、新しい場所に調べに行くと良いことにも出会うものだと思う。

2014年3月4日 (火) 早稲田大学演劇博物館
早稲田大学に次の3点の資料があるのをホームページで見つけて調べに行った。いままで新聞などでも公演日の確認ができなかったものだったが、資料で確認することが出来た。
(1)劇団・テアトロ<海>いのちある日に−江田島海軍兵学校物語 1984年 プログラム
(2)劇団手織座 落日の涯 長谷川利行の半生 1967年 プログラム
(3)ステージフレンズ海 雲流れて五十年―生ける標あり― 1994年 チラシ
また、閲覧室には雑誌『ドラマ』(1979.7月創刊)があったので、目次を中心にひととおり見て、玄洋先生に関連するデータ(「黒い雨」の脚本掲載号など)を収集した。
図書出納の待ち時間に館内の検索用パソコンで見ていたら、演劇関係の雑誌などが結構そろっている感じだったので、もう一度行って調べたいと思う。

2014年2月28日 (金) 蕎麦「寳」
大宮に出かけた帰りに、北浦和に寄り、蕎麦「寳」(たから)の写真を撮る。駅のホームからも見え、埼玉近代美術館側の西口に下りて、線路沿いを大宮方面に歩いて1分位の所にある。
ホームページに先生の書いた碑文やのれんの項目を設けているが、写真がなかったので寄ってみた。少し風があったがなんとかとれた。
中に入ってごぼ天蕎麦を注文したが、さすがにプロは細く切れるなと思った。自分で打つと少し太めの田舎蕎麦という感じだが、妻はおいしいという。そば粉は挽きたてではないが、打ちたて、茹でたてで、なんと言っても自分で作らないで食べられるから美味しいというのだろうと思う。
できるだけ細く切ろうとは思うのだが、道具がゆがんでいるのか、のしの段階で均一になっていないようでなかなかうまくいかない。
細いときれいで美味しそうであるし、美味しかった。ゴボウの天ぷらも家では細切りにして揚げるが、ここではゴボウを斜め薄切りにして楕円形の形で揚げていた。手間も少なく、シャキシャキ感が残るので、家でも真似してみようと思った。
 

2014年2月25日 (火) 「週刊テレビ番組」に多くの脚本
国会図書館に行き、七人の刑事「夏の終わり」の脚本家が玄洋先生であることを週刊TVガイド1968年9月号で確認した。
「週刊テレビ番組」を1976年7月〜1982年3月まで閲覧したら、「蕁麻の家」、「木枯しの自画像」、「判決・再会」、「三男三女婿一匹V」、「夜明けのタンゴ」、「野々村病院物語」、「嫁かず出もどり小姑」の各放送日分の脚本が掲載されていた。

2014年2月21日 (土) 七人の刑事「露路の奥」と「油照り」は同じものか
七人の刑事「露路の奥」(昭和43年9月23日放送)は、「テレビドラマ」(昭和39年3月号)に掲載された「−未発表オリジナル作品−油照り」と登場人物や作成趣旨のコメントが似ていたので、同じものかと思っていたが、「油照り」の脚本が手元になかったので確認できなかった。最近、「テレビドラマ」を入手したので、図書館にいって読み比べてみたら、同じ名前の登場人物もいるし、会話も取り込んでいるところはあるが、事件の設定が異っているので、別物という結論にした。
また、経歴・主要作品のページについては、少し凸凹して見にくかったので、年齢も加え、表形式にしてみた。
さらに、雑誌「テレビドラマ」に掲載されている「傷痕」などの脚本情報はテレビドラマ作品の補遺欄に記載していたが、著作リストにも加えた。

2014年2月12日 (水) −@「七人の刑事−夏の終わり」と「生きて愛して死んだ」
七人の刑事「露路の奥」の脚本の放送日がなかなかわからなかったが、ネットで他のことを調べていたら、「夏の終わり」が玄洋先生の脚本らしいことがわかった。
早速図書館に行って、新聞を調べたが、どこの新聞にも脚本家名は載っていなかった。番組紹介(新聞によって掲載しないものもあるのだが)のコラムをみると登場人物、内容がほぼ同じなので間違いないと思うが、国会図書館にあるTVガイドで確認することにする。
「生きて愛して死んだ」については、ロータリークラブ国際大会(1961/5/28〜6/1に開催)の際、英語の字幕スーパー入りで再放送されたと聞いていたが、夜の放送と思って番組表を探していたのでわからなかった。
雑誌「テレビドラマ」(昭和36年8月号)で5月31日に放送したとの記事を見つけ、新聞の番組欄を調べて、午後3時45分から(新聞社によって微妙に放送枠が異なっていたが)NETで放送されているのを確認した。

2014年2月12日 (水) −A玄洋先生の最初の個展は?
図書館で番組表を調べるのにヨミダスというデータベースを利用した。何回か使っているので、少し慣れてきたが、1回30分なのでじっくり見てはいられない。縮刷版のようにぺらぺらめくる方が早いように思う。たまたま玄洋先生の名前で検索して見ていったら、初の個展の案内に行き当たった。
「黒板」というコーナーで、作品がたまったので、昭和49年2月7日から19日まで、目黒駅前の画廊で初の個展を開催するというものだった。
連続ドラマ「あんたがたどこさ」が放送中で、まもなく「五番町夕霧楼」や「バラ色の人生」の放送が始まろうという頃だ。この頃は多くの脚本執筆で多忙な時期だったと想像するが良く画かれたものだと驚いてしまう。この時、出品したバラの絵は木下恵介さんが取得され、応接間に飾ってあったと伺った。
玄洋先生は脚本や小説を書かれたほか、絵や陶芸作品も制作され、個展もかなりの回数開催されてきたことが知られているが、最初の個展開催を知ることができた。部分的ではあるが情報ツールの便利な所である。
この4月1日からも所沢西武で個展が開催される予定になっている。

2014年1月15日 (水) 電子図書室 PDFファイルで作品が読めるように
玄洋先生の脚本などのデータを整理してホームページを作っているが、内容は読み物ではなく、目次みたいなものである。
玄洋先生の作品集「生きて愛して死んだ」(ソノレコード、1964年)は絶版になっている上、全国の図書館でも数館しか所蔵しておらず、国会図書館にもないので、手にとって読むことは難しい。現在、図書館間での図書の貸し借りも進んできているので、地元の図書館から借りることができる可能性もあるが、送付費用がかかることもあり、すべてできるわけでもない。
埼玉県内では桶川市にある「さいたま文学館」が所蔵(貸出はしない)しているが、読んでみると良い脚本が集まった作品集だと思う。
どのくらいの人が、インターネットの接続環境にあるかわからないが、先生の了解を得て、PDFファイルにして公開し、読んでもらうことにした。
まず、「妻なればわれも粧わん」など4作品を掲載した。残り6作品は作業終了後、アップすることにする。
最初はPDFファイルをA5版1ページで作成したが見づらいので、A4見開きで1ページにすることにした。1画面に2ページ表示されるので、スクロールの回数が半分に減り、読みやすくなったように思う。
ページのタイトルを何としようか考えたが、「高橋玄洋 電子図書室」としてみた。各家庭のパソコンでうまく読めるといいのだが、どうなるか。

2013年12月6日 (金) このサイトは安全です
ノートンの安全性の評価がグリーンの安全になった。2日にはトレンドマイクロの安全性評価で安全になっていたから、問題ないだろうとは思っていたが、他の人のページにアクセスする時もグレーのページは少し気になっていたので、これで安心してアクセスして貰えると思う。

2013年12月5日 (木) 活動情報を独立ページに
トップページの玄洋先生の最近の活動情報が、終了行事も掲載し続けたため増えて見にくくなってきたので、活動の部分を独立のページにすることにし、トップページには今後の予定部分を掲載することにした。
あわせて玄洋先生の過去の行事についても調べてリスト化するとともに、新聞記事や碑文なども紹介するページにすることにした。

2013年11月30日 (土) ホームページの安全性評価
ホームページが検索でリストアップされるようになったが、ノートンの安全性の評価がグレーの未評価のまま、変化しない。ノートンが独自に評価しているようだが、他の人のページをみても未評価のままのページも見られる。
安全と評価された方が安心して見て貰えるので、ノートンのホームページを見て、電話をしてみたが、音声案内で何処へつないで貰えばよいのかわからなくて、途中で切ってしまった。結局、チャットを使って聞いて見ることにした。テレビドラマなどで、こちらでキーボードをたたかないのにディスプレイに文字が・・・と出てくるのを見たことはあるが、初めて経験した。応答が殆ど合間無く行われ、担当部署で調べてくれるということになったが、反映されるまでには1週間くらいかかるとのことだった。

2013年11月24日 (日) ホームページの検索にヒット
ヤフーにドメイン登録した効果だろうか、「高橋玄洋」で検索すると数ページ後にリスト表示されるようになった。「高橋玄洋 データ集」と入れてみたら一番最初に出てきた。グーグル検索でもシステムが同じなのか同じ結果が出た。
アドレスを入力しなくても名前で検索できるようになり、ありがたいことだし、一番最初に表示されるのは嬉しい。

2013年11月22日 (金) 妻の日の愛のかたみに
「妻の日の愛のかたみに」は何回かテレビ放送されている。北島三重子さんの詩集が元になっている作品だ。玄洋先生の「妻なればわれも粧わん」(昭和36年)というドラマがあるが、この作品との関連性などを国会図書館にある週刊誌などで調べた。
「妻なればわれも粧わん」は、「夫と妻の記録」(昭和35年10月)で紹介された歌集『亜麻色の髪』と取材をもとに玄洋先生が脚本を書いたもので、その後、「妻の日の愛のかたみに」のドラマ放送と同時に、「妻の日の愛のかたみに」(昭和40年6月、池上三重子 著)が刊行されている。

2013年11月19日 (火) 独自ドメイン取得
アドレスを入力してホームページを見るのに、長いアドレスよりも、わかりやすいアドレスにしようと思い、takahashigenyo.comという独自ドメインを取得した。

2013年11月3日 (日) 「高橋玄洋脚本等作品データ集」を独立のページに
これまでホームページのタイトルと関連のないアドレスで公開してきたが、ホームページ用のアカウントを別に取得し、「高橋玄洋脚本等作品データ集」を独立のページとした。

2013年8月9日 (金) 友達はホームページのアクセスできるかな
知り合いにメールでアドレスを送り、ホームページにアクセス出来るか試してもらったらアクセスできたとの返事が来た。
リストを見て記憶に残る作品が多いと言っていた。私自身の記憶では就職した年の4月に「繭子ひとり」をみながら先輩方の机の清掃をしていたことが思い出される。

2013年6月4日 (火) 図書館でホームページを閲覧してみたら あれー!
図書館にホームページを見に行った。
検索でタイトルを入れたがヒットしなかった。
パソコンの画面にアドレスを入力する欄がないので、検索欄にアドレスを入れてみたらhtml で検索し、結果は該当無しと出た。
htm にして検索してもやはり出てこなかったが、「アドレスが正しいならここをクリック」というところをクリックしたらページが表示された。こんなやり方をしてよいのかどうかわからないが、他に思いつかなかったので、試してみた。
個人的にアドレスを知っていて入力できる人は別にして、一般の人がこのページに行き着くのは困難だと感じた。

2013年6月4日 (火) テレビドラマ作品のページの修正
アップ後、ページを見ると作成中に見ているものと同じものを見ているのに、間違いなどに気がつく。インターネットを通して見ることで外からの目になっているのだろうか。
テレビドラマの表については、番組名、脚本タイトル、放送日、曜日、放送時間などの項目を別にしていたが、いくつかまとめた方が登場人物情報などの情報が見やすくできるし、他の項目も追加できると思い、番組名と脚本タイトルをひとつの項目にまとめるなどした。ページ数が多いので早めに変更したほうが二度手間にならず楽である。
登場人物欄が大きくなるとともに、他番組欄を設けることができた。
今のところアクセスする人がほとんどいないので、変更するには良い機会だと思う。
行間隔、背景色なども修正した。

2013年5月10日 (金) ホームページの作成・公開
高橋玄洋先生の約2000本の脚本のうちの半数が、平成22年11月6日から所沢市立図書館所沢分館で公開され、放送日などのデータも公開されたので、その情報を確認すること、脚本はあるが放送日がわからないもののデータを整理してみようということから始まった。
近隣市立図書館、県立浦和図書館、都立多摩図書館、国会図書館などで、新聞や雑誌を調べ、最初は番組タイトル、放送日、放送時間の確認をしていたのが、出演者やスタッフ、原作、主題歌さらにはスポンサー、再放送、裏番組の調査と範囲が広がってしまった。
去年の5月には「繭子ひとり」など半分の脚本を保存している尾道市立大学図書館にも行った。
約2年半が経過し、ようやくデータがまとまってきたという感じではあるが、まだ完璧とはいえない。が、完璧を期するといつになるかわからないので、区切りをつけホームページに公開することにした。
テレビドラマの創世記における先生の業績を多くの人に知って貰いたいという思いもあり、昔作った自分の休眠中のホームページのメインにして試してみることにした。
ホームページビルダーを使わず、参考書やネットで勉強しながらのホームページ作成なので、どんな風になるだろうか、少し心配ではある。一方で表と文字が中心なので見栄えはしないが、それほど大きな問題も発生しないだろうと思っている。
まずは、トップページ、経歴・主要作品、昭和40年までのテレビドラマ、ラジドラマ、舞台・映画、著書のページをアップして、順次情報を追加、修正していこう。
タイトルは、「高橋玄洋作品研究」「高橋玄洋の世界」などもあると思うが、データ中心のページなので「高橋玄洋脚本等作品データ集」とした。

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