この作品は、不治の病にとりつかれた池上三重子さんが詠んだ歌を、夫の北島敬之さんが、歌集『亜麻色の髪』にまとめて贈ったという新聞記事を見つけたNETテレビの中島力ディレクターが、「夫と妻の記録」『この命ある限り』(北島敬之、三重子、司会:山形定房。1960年(昭和35年)10月2日(日))で放送し、大きな反響があり、歌集の発送作業をしていたところを制作企画部長の田中亮吉氏が見て、その内容を脚本:高橋玄洋・演出:山本隆則でテレビ・ドラマ化したものである。
1961年(昭和36年)2月6日の朝日新聞の番組紹介欄では、「両氏は福島県柳川市に夫妻を訪ね、ドラマ化の承諾を得るとともに、その生活ぶりを取材してきた。(中略)ドラマは北島夫妻の結婚した昭和26年から、昨年の歌集出版までの夫妻の生活を忠実に描いたものだが「妻なればわれも粧わん」という題名は夫人の短歌の一節からとったもの。作者の高橋氏は「夫妻はドラマ化をとても喜んでくれた。特殊な夫婦愛物語ではなく、人間のあり方について視聴者といっしょに考えてみるようなドラマにしてみた」といっている。」と紹介している。
タイトルは「妻なれば吾れも粧わん細き手に棒紅もちて唇(くち)丹念に描く」からとったもの。
その後、池上さんは1964年(昭和39年)3月、夫を説得して離婚。
1965年(昭和40年)6月11日、池上三重子さんが木島則夫モーニングショーに出演。(ビクターの歌手・松尾和子が池上三重子さんの歌詩に曲をつけて歌う。)
同年6月14日(月)からNET名作劇場「妻の日の愛のかたみに」(脚本:高橋玄洋、演出:山本隆則。池上三重子=乙羽信子、北島敬之=伊藤雄之助。3回)が放送された。
同年6月19日、サンケイ新聞社出版局から「妻の日の愛のかたみに」(池上三重子 著)を刊行。
同年6月24日、レコード「妻の日の愛のかたみに」(NET「木島則夫モーニングショー」より)が、クラウンレコードで苅田千賀子、コロムビア・レコードで青山和子により録音され、発売された。
なお、青山和子のレコードに収録されているもう1曲の「愛して別れて」(“妻の日の愛のかたみに”より)は、高橋玄洋作詩、土田啓四郎作曲である。
同年10月2日から、大映映画「妻の日の愛のかたみに」(富本壮吉監督、木下恵介脚色。千枝子:若尾文子、北原正之:船越英二主演)が公開された。
さらに、1976年(昭和51年)7月5日(月)から8月27日(金)までフジテレビ・ライオン奥様劇場「妻の日の愛のかたみに」(脚本:柏倉敏之、岡田正代。三津子=杉田景子、夫・幸男:新克利)、1982年(昭和57年)10月25日(月) NET 月曜ワイド劇場 女のドラマ特選第4弾「妻の日の愛のかたみに・いとしい夫へ、涙の離婚届」(脚本:高橋玄洋、監督:久野浩平。池上三重子=倍賞智恵子、南田良明=滝田栄)が放送されている。
池上三重子さんの著書「妻の日の愛のかたみに」は、 サンケイ新聞社出版局のほか、1972年(昭和47年)三笠書房、1976年すずらん書房、1982年講談社文庫からも刊行されている。
なお、池上三重子さんは2007年(平成19年)3月27日、83歳で逝去されました。
参考資料
「妻の日の愛のかたみに」(サンケイ新聞出版局、1965年7月)
「妻の日の愛のかたみに」(すずらん書房、1976年7月)
週刊サンケイ(1965年6月)
週刊現代(1965年8月)
婦人倶楽部(1965年9月)
おはよう木島則夫です「モーニングショー」こぼれ話(1966年3月)
女性編集者(1967年4月)
主婦と生活(1967年9月、1971年5月)